水がなくなる日

水がなくなる日

写真撮影:露口啓二

2019/4mの水道管と蛇口×29本/紅櫻アートannual2019(8月11日〜9月16日)
制作協力 3KG、池田工機、ボランティアスタッフ

堀内進之介が「人工知能時代を<善く生きる>技術」で、2012年のインターネットフォーラムでのスェーデンのビルト外務大臣の発言「インターネットは21世紀の『水』であり、『水』のあるところに『命』が生まれる」を引用しつつ、SNSやAIなどの新しい技術は、市民活動の原動力としてまさに「水」と同じく必要不可欠なものになってきていると語る。そして、「現代社会をディストピアにしないためには、技術も人間もどちらも過信してはいけない。技術は人間によって作られるが、人間もまた技術によって作られる。この事実に正面から向き合うことが必要なのだ」と。

私達は、昨年の紅桜アートannual2018開催中の9月6日に胆振東部地震により、停電、断水、情報の断絶を経験した。自然の力をまざまざと見せつけられ、私はネットという〈情報〉と〈水〉は、21世紀のこれからを生きる私達にとって、最も重要なものと思うようになった。この2つは光ファイバーや衛星、水道管というつながる媒体が物質的にはちがっているが、「あることが当たり前」という大きな共通項がある。もしそれがなかったらと想像することができるだろうか。考えたくないから、考えないようにしているだけではないだろうか。

例えば、日本全国に張り巡らされた水道管の総延長60万km中、更新が必要なのは12.1%(2012年時点)、更新率は年間0.76%程度で、すべての更新には130年以上かかる計算。老朽管は動脈硬化した血管のように衝撃に弱い。更新すれば費用が水道料金にのり、小規模自治体を中心に影響が大きく、料金を二倍以上に引き上げる必要があるところもあるという。その状況下で水道事業の民営化が推し進められている。成人の体内には体重の60%~65%程度の水が含まれる。体重60kgの人なら約37%(約37リットル)は水。そのうちの20%が失われると生きていけない。老化とは体の中の水不足でもあるわけだ。

水ジャーナリストの橋本淳司は語る「水とお金は似たところがある。例えば『ある』ところが偏っていること。誰かが独占すると社会のバランスが崩れ、不安定になること。入り口と出口は注目されるが、流れはあまり意識されないこと。でも歴史を振り返ると、この流れを作ったり、変えたりする人が時代の覇者となってきた」。まさにこれは情報にもあてはまる。人の暮らしは川近くの半乾燥地帯で始まった。その頃は自分で水を汲みに行くのが当たり前だった。文明の発達にともない、自然の水の流れはインフラという人工的な水路によって変えられた。それは便利と権力の象徴だった。ローマ水道はロ―マに従う国に引かれた権力の象徴だ。

●池に建てた水道管の先端には蛇口がついているが、水は出ない。水があるのに水はでない。SNSやAIなどの新しい技術は、市民活動の原動力としてまさに「水」と同じく必要不可欠なものになったが、両者を誰かが独占すると社会のバランスが崩れ、不安定になる。水道管は29本、これは10年後の2029年を意味する。スマホやパソコンのディスプレイから私達は何を見ているのか。水道の蛇口の向こうに何があるのか。「水がなくなる日」がいつ来てしまうのか。

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